ディカプリオ版 ギャツビー

ギャツビー登場まで、かなり引っ張ります。勿体振るわけです。謎の男ギャツビーを、殊更に強調するかのようです。視聴者からすれば色男のディカプリオが現れるのは分かり切ったことなのですが、それでも鬼が出るか蛇が出るか、豪華な乱痴気騒ぎを大枚叩いて催す目的は何か?画面一杯に謎を提示することで、見る側の関心をグイっと引き込んでしまうわけです。そして、謎が明かされると、その純情な動機に、意外ね、となってしまうのです。ギャツビーが相手の挑発に釣られ逆上してから、物語は一気に急展開し、破滅の坂を転げ落ちていくのです。この辺りの心理的な揺れ動きも、上手く表現されていました。幸せだった時は、ギャツビーが放った服に埋もれたデイジーが、最期はギャツビーが花に埋もれて眠ることになるわけです。「華麗なるギャツビー」は舞台ではなく映画向き、が映画版を見た率直な感想でした。